織田信長のあまり知られていない初めて行ったこと

どうも、あっしーです。

私は大阪に生まれ、愛知の津島という地で中学、高校は清須市の高校に通い。

大学は滋賀の大学、就職後は近江八幡市(安土)に住み、現在は転職し堺市にいます。

わかる人が見ればどれだけ信長ゆかりの地にいるのかと思われますね。

そんな私は必然的に織田信長、豊臣秀吉を好きになり戦国時代を好きになりました。

そんな私が今回は

意外と知られていない信長が初めてした事を紹介していきます。

この記事を読んでもらう事で、大河ドラマや歴史漫画を楽しめると思います。

  

目次

意外と知られていない岐阜の名付け親

現在の岐阜城

信長は当時尾張の守護大名でした。

美濃の斎藤家との争いの末「稲葉山城」へ

居を移した際に「岐阜城」と改名

そしてもとは稲葉山城の城下は「井ノ口」という地名でしたが

その地名も「岐阜」に改名しました。

この当時は信長以前の権力者は誰一人として地名を変える事はなかったので、信長が初めて行ったのである。

なぜ、岐阜なのか?

「阜」の意味は岡や山を指します。

では、「岐」について

古代中国に「周」という王朝がありました。

周は小さい部族から起こり、やがて殷の残虐な暴君を倒し、王朝を建てます。

周の発祥の地が「岐山」という地名でした。

この故事を活用して、信長自身も天下を狙う発祥の地として「岐阜」として名付け

今もなお残っている地名として根付いています。

この改名以後は戦国時代の地名の改名は多く存在します。

加藤清正は自分の領地を、「隈本」から「熊本」へ

明智光秀ははが「横山」から「福知山」に改名した。

まだまだ、たくさんあります。

あなたの住まいの地名についても調べてみると面白いかもしれませんね。

意外と知られていない「天下布武」がすごい事

天下布武とは

「天下ではなくに武を布くことによって、戦国時代を終わらせる」

戦国時代の「天下」とは室町将軍および幕府政治のことを指していて、地域は京都を中心とした五畿とその近辺を指すと考えられています。

この「天下布武」を掲げた事も凄いですが

信長は「天下布武」の判子を使用していました。

そもそも自らの目標や宣言をサインと共に印を用いたのは信長が初めてです。

大きな目標でありますが、その当時の信長は尾張と美濃(愛知県西半分と岐阜県の中心部)のみでした。

たった2国の守護大名であるが「天下」を語っていたのは信長のみでした。

他の大名は自分の領地を広げる事しか考えていませんでしたので、「私欲のための戦」でした。

この差は大きく明確な目標を掲げる信長はその後皆さんの知っている通り戦略的な侵攻を進め天下を目の前にまで功績を上げていきますが、「本能寺の変」により志半ばで生涯を終えます。

https://asshi-blog.com/taigadorama-kirinngakuru/

まとめ 意外と知られていない信長が初めてした事

  • 地名の改名
  • 思考や目標を印でサインと共に使用

この二つの事に共通しているのが天下を狙うという意思表明がされている事である。

今の時代でも目標を掲げる場合は様々な人に公言したり、SNSなどで発信する事に近いように思えます。

目標を明確に掲げことは成功に近づけるのかもしれませんね!

 

今回紹介した事は歴史的な背景として理解することで大河ドラマや戦国漫画を楽しめるのではないかと思います。

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