
あっしーです。今回は有名な明智光秀2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」主人公としても取り上げられる戦国武将ですね。
明智光秀を語るうえで欠かせない事件「本能寺の変」について解説していきます。
本能寺の変を理解し、謀反の動機はどれか考えていただき、大河ドラマでは動機をどのように描かれるのかを楽しみにしながら見て頂くことで10倍楽しくを見て頂けると思います。
では解説開始です。
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本能寺について
正式名 法華宗大本山本能寺
本応寺という寺名から本能寺に変更
住所 京都府京都市中京区寺町通御池下る

現在の本能寺は能の字が異なる?
私は昨年本能寺に訪れた時こんな字みたことないな~と違和感を感じました。

なんと、現在の本能寺は能の字が異なっているのです。本能寺に寺名を変更後、本能寺の変を含めなんと5回もの火災に見舞われていることから(本能寺の変は3回目の焼失)
「能」の字には「ヒ」が二つもあり、火に見舞われるという事から
現在は右に「去」という字が「ヒ」の代わりに使われています。
どうしても火災が増えてしまうと名前の字にも因縁を感じ、改名を行ったという事です。面白いですね。
本能寺の変の本能寺は現存の場所とは異なる?
下の地図をご覧ください。
現存の本能寺は右上に位置し、本能寺の変の跡地である、本能寺跡は左下にあり


本能寺跡住所 京都府京都市中京区小川通蛸薬師元本能寺町
本能寺におとずれる際にはご注意ください。
私が昨年訪れたときは跡地が分かれていることを知らず、立ち寄ることが出来ていません。また訪れたいと思います。
肝心な跡地は写真のように本能寺の場所がわかるような石碑が残っています。
歴史的事件の跡地としては質素な感じで残念です。
本能寺の変
本能寺の変とは?
それでは本能寺の変について解説していきましょう。
天正10年(1582年)6月21日早朝
場所 本能寺、二条新御所(現 二条城)
織田信長を家臣である明智光秀が謀反を起こし襲撃した事件
本能寺に火を放って織田信長が自害(信長の死骸は発見されていない)
二条新御所では織田信忠(信長の長男)がこちらも城に火を放ち自害し、光秀は実質な織田家の実権を手に入れ天下取りまで目前という形になった。
しかし12日後、当時中国地方の毛利軍と混戦中であるはずの羽柴秀吉が本能寺の変後、毛利軍と素早い和睦を結び想定外の速さで「山崎の戦い」に参戦したこと(「中国大返し」と呼ばれる)により明智光秀は「山崎の戦い」に敗れ自害し12日間の天下となってしまったのである。
戦国時代、下剋上の代名詞とも言われる事件であり、光秀の謀反の動機についてはいくつもの説があり戦国時代の最大のミステリーである。
次はその動機について解説していきましょう。
謀反の動機
単独犯行(光秀自らの犯行)
- 怨み説
- 野望説
怨み説
元々光秀の母親が信長のせいで殺されたとされている。
また、一番の部下と親しくしていたが本能寺の変の前年ごろから意見の不一致により侮辱的な暴行、今でいうパワハラを受けていたとされている。
信長の野望は大きく、天下統一後は世界を視野に入れていて唐入り(中国)を決行するつもりであった、これに対しても光秀は消極的で、無謀だと悟っていたのかもしれない。
のちに秀吉が朝鮮出兵を行い大失敗している。
野望説
こちらはシンプルにこの下克上の時代に光秀もまた天下取りの機会を伺い、自身の栄光の為信長を討ったとされている。
黒幕説(誰かに操られた、利用された)
- 足利義昭黒幕説
- 羽柴秀吉黒幕説
- 長曾我部元親黒幕説
- 徳川家康黒幕説
足利義昭黒幕説
光秀は足利義昭にも仕えた過去があり、義昭自身としても幕府再建のため信長包囲網を作成し信長の排除に尽力してきた。そして光秀と共謀し信長を討ったとされている。
羽柴秀吉黒幕説
本能寺の変での事実上最も得をした人物であり、手際の良すぎる「中国大返し」と戦国時代最高の下剋上により天下を目指したとされている。黒幕にしては光秀が裏切られる所は悲惨な説である。
長宗我部元親黒幕説
光秀は土岐一族に属していた、長曾我部元親は土岐氏と婚姻関係などから親密な関係にあったとされている。
そこで、信長による四国征伐をやめさせるため土岐一族として共謀したとされている。
この説は光秀と元親の密接な関係性がうかがえる資料が見つかり注目された。
徳川家康黒幕説
家康もまた信長により長男と妻を失っており、昔から信長と親交があるように描かれる事が多くあるが勢力の上で信長が脅威と感じていた家康を本能寺で暗殺する説がある。
実際「本能寺の変」当日、家康は信長の勧めで堺遊覧に訪れ、京に向かう予定であったとされている。このことから命を狙われている事実を共有し共謀していたとしたら筋は通る。
しかし、謀反後の急いで家康は三河に帰っていったとされている。共謀していたならば山崎の戦いに参戦していたと考えられる。
おわりに
謀反の動機はまだ様々あります。しかし、これが事実だと決めつけられる決定的な資料が見つかっていないのが事実です。
「太閤記」(豊臣秀吉の生涯を描いた伝記)によりフェイクニュースを織り込みながら完全なる悪として光秀は描かれています。
多くの方は光秀は反逆者というイメージをお持ちかもしれませんが動機を見て頂くと一概に悪と決めつけられないと思います。
戦乱の世に、戦が少しでもなくなり平和な国を目指していたのかもしれません。
大河ドラマ「麒麟がくる」ではどのような謀反動機で描かれ、どのような人柄として描かれるのか?という点にも注目しながら見て頂けたら楽しめると思います。
ここまで読んでいただきありがとうございます。

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